『田園の詩』NO.68 「草を焼く煙」 (1997.6.10)


 当地の農家では、稲の苗はほとんどが自分の家で作ります。四月下旬に撒いた種モミ
は、一ヶ月を過ぎた今、スクスクと育ち、小さな箱の中で鮮やかに緑色を見せてくれてい
ます。

 こうなると、田圃に水を引く準備を急いでしなくてはなりません。車を運転していて、
見通しのきかない程に伸びていた田圃の畦の草もきれいに刈られました。

 助手席の女房に「散髪したようだナ」といったら、「ヒゲを剃ったみたい」と返事が
返って来ました。女房の表現の方が的確のようです。

 この「ヒゲ剃り」で大活躍しているのが≪草刈り機≫です。 チップといわれる小さな
鋼鉄の爪の付いた円盤を高速回転させて草を切る機械です。(写真参照←クリック) 
取り扱いにちょっと危険を伴うシロモノですが、田舎生活の必需品の第一に上げてもいい
と私は思っています。

 この草刈り機、扱いに慣れると結構面白いもので、昔のようにカマで草を刈るよりも数段
速く仕事ができます。

 田植え前になると、どこの家でも草刈り機がフル回転となります。そして刈られた草は畦
に数日放置され、枯れた頃に燃やされるのです。

 ですから、この時期、そこ此処で草を焼く煙を目にします。一見趣のある典型的な田園
風景のように見受けられるかもしれませんが、秋の夕暮れならいざ知らず、緑萌え立つ
初夏の光景の中での草を焼く煙は、どこか不似合いの感を私は抱くのです。


       
     冬場の草焼きは風情があります。モミ殻を燃やしているところ。数日煙が出
      ていました。灰は筆製作の工程で必要なので、時々もらっています。
      (製筆工程 A火のし←クリック)   (09.2.11写)


 私が子供の頃、農家は朝一番に畦草を二束ほどカマでかり、竹ザオの両端に刺して
担いで帰っていました。

 春風に目を覚まされ、菜種梅雨でたっぷり水を貰った草は初夏の日を浴びてドンドン伸
びます。それが牛の格好の餌になっていたのです。牛を飼う農家がなくなった現在、餌と
して貴重だった畦草も、単なる雑草に戻ってしまいました。

 今となっては切って燃やすのがベストといえますが、雑草までも無駄にしない貧しくも
確かな人間の営みが、前時代にはあったと思います。   (住職・筆工)
 
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